2020/6/26
こんばんは。今日も気楽に聞いてくださいね。先週の録音を文字に起こして、くっだらないことを脈絡なく話してんな~と反省をしてます。もう少し順を追って話して行くようにしたいのですが、もうしばらくはとりとめのない事柄をしゃべっていきたいので、お付き合いをお願いいいたします。
先週は、4~5千年前、始めのころのヨガは瞑想することでしたよ、というお話しを致しました。今日は哲学について、、私たちは「ヨガ哲学」と言ってますが、インド哲学、ヒンドゥー哲学などを考えたときに、いったんヨガとは切り離して考えておいたほうが判りやすいかなっと考えてます。
哲学とは「私はなんですか」「自分とは何者ですか」「何のために生きているんですか」ということを考える学問だということはお話し致しました。
原始の頃の瞑想にそのような哲学的な要素があったのか、そもそも今私たちが行っている瞑想と同じなのかも私たちの想像の外のことですが、妄想も含めて色々な想像をするに、宇宙人と交信していたとか、そもそもが地球外生物で「お願い早く迎えに来て!」ってお願いしていたとか。物証がないので本当はどうなのかは判りませんけれどね。
(物証があって判っている)哲学的な要素はBC1500年ごろに北欧系の遊牧民のアーリア人がインドに入って来たんですね。アーリア人は白人で青い目の民族でした。侵略されたというよりは「どうぞ、どうぞ」ダチョウ倶楽部的な感じ、気が付いたら居たとか、インダス文明は衰退していたので抵抗する力が無かったのかは定かではありませんが、とにかく侵入してきて居座ったんですね。アーリア人が持ち込んだバラモン教の経典が皆さんも知っているヴェーダと言われるものですが、リグ・ヴェーダの成立がBC1200~1000年と言われていますから侵入と共に持ち込まれたものでは無く、インドの地で出来上がった物であることがわかります。
そもそもヴェーダは聖仙(リシ)が深い瞑想によって得られた天啓(シュルティ)を集めたものです。これは私の個人的な想像ですが、アーリア人にはもともと瞑想する文化は無かったのだと思います。侵入したインドの地で先住民が行っていた瞑想というテクニックを自分たちも真似して行い、深い瞑想の中で、自分たちの宗教観に重ねられて得られた言葉(天啓)を集めてヴェーダが出来たんじゃないのかな?と考えてみたりしています。
天啓ですから、脈絡のない言葉の並びであったり、意味が理解できない音の羅列であったりしたものが多く最初はヴェーダ語と言われて後のサンスクリット語に発展をしていく言葉となります。
リグ・ヴェーダは全部で10章あります。最初に2章から7章までが成立して、後に1章と8章が付け加えられ、最後に9、10章がくっついたものです。シュルティですから何言ってるかよくわかんない意味わかんない膨大な数の詩みたいな短いセンテンス、言葉を、すべて口伝で伝えてきたわけですが、それを伝えていかなければならない人たちや家系が存在しました。音そのものに意味と力があると考え、発音や発声、音階を性格に伝えていくために、あるいは言葉を読み解いていくうちに、リグヴェーダ以外のヴェーダやヴェーダンタ、ウパニシャットが成立していきます。哲学として考えると、このヴェーダの中に哲学の芽吹きや言葉などはありましたが、私たちが考える哲学が発生するのはウパニシャットが出てきてからです。この時代にヨガはまだ係ってきていません。そしておそらくは哲学というより宗教として考えたほうがわかりやすい時代だと思いますが、このヴェーダをもとにバラモン教が発展していきます。バラモン教は寺院のような建物はなく、祭事や儀式を行う都度、祭壇を作りました。その祭壇に火を焚いて捧げ物を捧げてお祈りをする形式の宗教です。その祭壇の作り方、捧げものの準備、祭事の手順、唱えるマントラ等も厳しく決められていました。それは時代と共に複雑な様式となって祭司たちの特権階級へと発展していきます。日本でも成田山新勝寺とかは護摩焚きをしていますが、イメージとしてはそんな感じです。
その後、土着の宗教とバラモン教は混ざりあっていきます。同じころに、と言っても100年以上の時間差はありますがヨガも仏教も生まれてきます。
この哲学の興りがインドの様々な文化を大きく変え発展をしていきます。哲学の興りと共にヨガが発展したわけですから、当然、哲学からヨガが生まれ、ヨガの中には哲学があるので、現代社会においてもヨガをする私たちは、哲学を学び、ヨガには哲学があるし、ヨガとは哲学そのものですし、切り離せないものなのです。
先週の最後に、サーンキャ哲学はめんどくさいしそこから始めると大変、、と言っておきながら、サーンキャ哲学の話しをします。
ウパニシャッドの中で「私は大いなるものと同じだ」という答えを見つけます。その答えを証明していくためにインドの哲学は発展しましたね。ウパニシャッドや哲学にはブラフマンとかアートマン、プルシャやプラクリティというワードが出てきますが、これらは改めて作り出した造語ではありません。すでにヴェーダの中で出てきます。ウパニシャッドの哲人たちの多くがそのワードの意味を後付けで考えていきました。その中の一人、カピラ仙が提唱したのがサーンキャです。
サーンキャとは「数論」と訳されていますが、数字を数えるように論理的に解釈する、あるいはラベリングするという意味があります。サーンキャの中で「私と私以外のものは別のものである」つまり私(プルシャ)と私以外(プラクリティ)と2つに分けて考えた、これが二元論(ドヴァイタ:Dvaita)です。西洋哲学で二元論というと精神性と物質に分けますが、サーンキャにおいてもプルシャは精神原理でプラクリィは物質原理として扱ってはいますが、その変幻があまりに摩訶不思議なので割愛します。
インド哲学の興りにおいての考え方は一元論ですが、まだ形而上学としての哲学ではありませんでした。なので言葉として形而上学的な哲学として最初に成立したのはドヴァイタです。やがて500年ごろにヴェーダンタ学派の哲人シャンカラが不二一元論(アドヴァイタ:Advaita)を提唱して、一元論という考え方を示します。つまりドヴァイタではない、ア・ドヴァイタだよ~ってのです。これはプルシャとプラクリティの二つがあるんじゃなくて、あるのはプルシャだけ。プラクリティってのは幻なのだ。てな感じで、ヴェーダンタ学派が推していた梵我一如の一元論を継承して、サーンキャの難攻不落な論理をバッサリぶった切って、長く続いたこの論争に一旦終止符を打ったんですね。
このあたりは学派と時代によって言っていることが違うし、同じ事柄なのに違う言い方をする、言葉がいっぱい出てくるし混乱しやすいところなので、一度整理しておくと良いですよ。
今日のお話しは、インド哲学の興りはヴェーダで芽生え、ウパニシャッドで成長、完成して、哲学を研究する学派(六派哲学)の一学派から二元論が生まれ、その後一元論になって今に至る、という流れをお話ししました。
難しかったですか?インドの哲学を俯瞰して説明しているので、細かいことのお話しが足らなかったりしてますが、大まかに全体像を見ていきたいと思ってます。
今日の20分もあっという間に終わりました。来月からは木曜日の同じ時間にお引越しして、相変わらずうだうだとおしゃべりを続けていきたいと思いますので、お時間あったら聞きに来てくださいね。ありがとうございました。


