2020年6月16日火曜日

だるしゃな時間 その1

2020/6/12

タイトルの「だるしゃな:darsana」とはサンスクリット語で哲学のことです。一般的な哲学というより「インド哲学」そのものと思っていただいて結構だと思います。また語るコラムの「コラム」は、そもそも柱(円柱)を意味していて、ヨガをしている人ならば誰もが知っている「アンガー」柱、支えにかけています。アシュタンガ(八支則)やチャトランガ(4本の脚)でお馴染みの「アンガー」です。聞いて下さる皆さんがヨガ哲学を学ぶにあたり柱のような支えとなってくれればいいな~という、意外とちゃんとした思いを込めたタイトルとなってます。
ここではインドの哲学はもちろん、神話や文化、ヨガにまつわるあれこれ、その時の気分とノリでお話ししていきたいと思いますが、もし聞きたいトピックスがあったらリクエストくださいね。

今回のコロナによる騒動を通して改めてヨガの本質、奥深さを垣間見た気がします。
所説ありますが、ヨガはインドで4~5千年前に生まれたと言われています。発祥してからずーっと5千年間、消滅することなく常に人類と共に存在していたヨガ、今回のコロナ禍でもポシャることなく、むしろオンラインという道具を当たり前のように使って、何事もなかったかのようにシフトして、あたかも何年も前からずーっとやってました何か?的な嵌りっぷりに「ヨガってすげーな」とつくづく思ったわけです。5千年前にこんなインターネットがあったワケじゃないし、当時のインド人だって想像も想定もしてなかったと思いますよ。それでも「ヨガは人の営みと共にあるもの」「人に寄り添うもの」という、ヨガの普遍的な本質を見ること感じることが出来た私たちは、その変貌を見届けた生き証人なわけです。今に生きていてよかったですね。

インドの哲学を始めて聞くという方はいらっしゃいますか?
ほとんどどこかでお話しを聞いたり勉強をされているんですね。素晴らしいです!
「インド哲学はあまり真面目に受け取らないほうがいいですよ~」と私が行う哲学のクラスでは必ずお伝えしています。なぜかというと、ある事柄についてですが3千年以上も議論を交わした挙句が「ま~ぼ~ろ~し~~~~」で終結しているからです。インド哲学はそんなもんです。なんでんかんでんガンガーに放り込んで3メートルも流れれば浄化されてしまう。それがインドです。なので、気楽に聞いてくださいね。




私たちは必ず良い結果が出て欲しいと願って行動します。たとえ結果が悪かったとしても、始めから悪い結果を求めて行動はしませんよね。たとえわずかな変化でも少しでも前に歩みたい、幸せになりたいと願って行動を起こします。ただ、その幸せや願いは人それぞれに違っていて、その人の今のレベルに応じたものを求めます。それ以上もそれ以下もなく今の自分に見合った幸せや成果を求めるので、他人を見て場合によっては「それは違う」と感じることもあると思います。以前の自分と今の自分が欲するものが変わることも当たり前のことで、人は成長と共に求める成果や幸せと感じる物事は変化します。他人と比べるのはナンセンスなことですし、今の自分を作り上げているのはいくつもの岐路で何かしらの選択をしてきた結果だと認めることはとても大切だと思います。

最後のお話しですが、やはりコロナ禍にまつわることです。
数日前ですが21日の夏至の日に高野山で太陽礼拝を奉納するというお話しをいただきお手伝いさせていただくことになったのですが、実は神主の家系で仏教のぶの字も知らないんですよ。高野山の宗派が何なのかも知らないので「こりゃいかん」と検索してましたら「三密」という言葉が出てきました。
「三密」です。
当たり前ですが最近世間で言われている「密閉・密集・密接」の三密とはまったく違います。「密教において身口意の三つを仏と同体とすること」書いてありました。身は体です。ヨガで言えばアーサナで大なるものと繋がることでしょうか。口は口です。マントラ(真言)を唱えることで大いなるものと繋がることです。そして意は意識です。大なるものに意識を集中させて瞑想することで繋がっていく。行為をするこの3つすべてを仏と同化させていくことで、自分を清め幸せになるという教えです。同じ言葉でこの違い、このめぐりあわせの妙、面白いなぁと思ったというお話しです。

ありがとうございました。



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